はじめに ─
初めまして。株式会社サカワの総務、坂和由紀子です。
2008年、当時の社長であり私の祖母の故坂和寿々子が表彰をいただいたことをきっかけに、カンボジア・バッタンバン州サマキー村に、日本人として初めて学校を寄付させていただきました。それから多くの方々のご協力で、周辺には学校が建てられていったと聞いていますが、その「サマキ・サカワ小学校」に、当時の社長が訪問して以来18年ぶりに足を運びました。
▼サマキ・サカワ小学校建設当初(2008年)

きっかけは2023年。会長・坂和寿々子の葬儀に、当時学校建設で大変お世話になった、認定NPO法人 国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)の代表を務める高山良二さんが、会長の葬儀にわざわざ足を運んでくださったことでした。高山さんは、地雷原から車で1時間弱の場所にあるサマキ・サカワ小学校の寄贈に深く関わってくださった方です。学校建設に至った思い出を伺い、そしていつか必ず訪ねるという約束をしました。3年の時を経て、ようやくご縁が整い、私はカンボジアの地に立つことができました。
シェムリアップから車で4時間。一車線の道路は今も拡張工事の途中で、聞けば1年前とほとんど変わっていないといいます。道の途中、線路の上にまで店を広げるマーケットの光景に、この国の人々のたくましく、おおらかな生き方を感じました。
やっと到着したタサエン村にある宿舎は、飾らないシンプルな場所でした。ご自身の部屋と訪問者用のベッドが並び、夜はそれぞれ色とりどりの蚊帳を張って眠ります。敷地内には、みんなで食事をする場所、キッチン、翻訳を担うソック・ミエンさんご家族の住まい、日本語学校、蒸留場、ドライフードファクトリー、畑まで揃っていました。ここには、支援する側・される側という一方通行の関係ではなく、暮らしと学びが一体になったコミュニティで、日本人が忘れかけているような、何か懐かしいものがありました。
子どもたちとの再会 ― 「支援」ではなく「仲間」として

18年ぶりの学校訪問には、正直不安がありました。今も使われているだろうか。
前日に届いた情報では、老朽化が進み、子どもたちが安心して授業を受けられる状態ではないとのこと。そこで高山さん、ミエンさんの声がけで、タサエン・コミューン(6つの村の集まり)の長や村長にも当日同行いただき、現状を一緒に見てもらうことになりました。
到着して分かったのは、厳しい環境の中でも子どもたちは学校に通い、日々学んでいるということでした。
一方で、木造の壁が虫に食われ、教室と教室の間の壁には穴が開き、雨漏りもかなり進んでいたということ。子どもたちが安心して学べる環境とは、とても言えない状態でした。

その場ですぐに、教室の中で話し合いが始まりました。
最初、村の方々からは「学校より道路を優先してきたので、手が回らなかった」という言葉も出ました。様々な意見が飛びましたが、根気ある話し合いの末、最終的には地域が責任をもってこの学校の修繕をすることを約束してくださいました。
私たちが去った後も、村の人々は残って修繕に関して具体的なことを話すとおっしゃっていたのがとても印象的です。
私が感じたのは、学校や子どもたちとの出会いや喜びと同時に、「本当の支援とは何か」という問いでした。せっかく教育向上のために寄贈した学校を、これからも使ってもらうためには、村やコミューンが自分たちの手で協力し、修繕していく必要があります。寄付をすることはできても、それを単発で終わらせてしまえば、学校はまたこのように朽ちていく。もし今回の訪問がなければ、この学校はそのまま使われなくなっていたかもしれません。
きっかけをつくったのは私たちだったとしても、それを「自分たちのものだからなんとかしないと」と村の人、コミューンの人たちが思って動いてくれること。そこまでできてこそ、本当の意味でのカンボジア支援になる。自立を支えることの難しさと大切さを、あらためて感じた瞬間でした。

今回のことを通じて感じたのは、支援とは一方的に施しを与えるのではなく、地域の住民が自分たちの手で立ち上がり、自走していけるように寄り添うこと。村やコミューンの人たちの中に「自分たちで守っていきたい」という気持ちが芽生えるまで、時間をかけて関わり続けることの大切さです。そうすることで、地元の方々に信頼してもらうことができ、仲間として相互の関係を積み重ねていくことができるのです。
嬉しい発見もありました。18年前に使っていた黒板が、まだ現役で使われていたのです。裏側には、当時私たちが書いたメッセージがそのまま残っているはずです。修復後も、この黒板はきっと子どもたちのそばで活躍してくれることでしょう。

子どもたちとは、事前に用意したクイズで交流しました。「カンボジアの国花は何でしょう」「この学校を建てるのに協力したのは誰でしょう」。日本から持って行ったけん玉で一緒に遊ぶ時間もありました。素直に目を輝かせて話を聞いてくれる子どもたちの姿に、私たちの方が多くを教えてもらった気がします。最後には、これまで学校を使ってくれたことへの感謝状を子どもたちに贈り、この日の訪問を終えました。

今回のことで、会長であった祖母がこの学校に込めた想いを、時代を超えて令和のいま、こうして再びこの地でつなぐことができたのは、私にとって何よりも意味のあることでした。あの日の約束が形になったことを、心からうれしく思います。この想いを絶やすことなく、私たちはこれからもこの学校を見守り続けたいと思っています。修復が叶った時には、また必ずこの地を訪れたいと考えています。
このタサエン村周辺の地域は、内戦で最後の激戦地となり、今でも多くの地雷や不発弾が残るエリアです。
そこで20年前から地道に地雷処理活動が行われ、少しずつ安全に耕作できる畑ができたことで農作物の収穫量も増え、人口も増えているそうです。
まだまだ除去できていない地雷と隣り合わせにある村ですが、子供たちが安心して教育をうけられるようになるよう願わずにはいられません。
[後編] に続く(2026年9月頃公開予定)
【関連記事】
「愛媛新聞」に今回の訪問に関する高山さんの連載記事が掲載されました。
『ぐるっと地球 カンボジアto愛媛 思いをつなぐ』2026年8月24日付愛媛新聞